Scott Weiland 死す
そうしたムーブメントの中で、一際輝いて見えたバンドが、Stone Temple Pilots。
当時ニューヨークでニートに近いグダグダな生活をしていたオレは、Stone Temple Pilotsのミュージッククリップ(デビュー曲のPlushだった)を観たいがために、時間があれば1時間でも2時間でMTVの流れるTVにかじりついていた(幸い、人気のある曲、話題になっている曲は1-2時間に1回はかかるのだ)。
ようやく英語が理解でき始めた頃だったので、必死に歌詞を理解しようとし、でもScottの描く世界は英語のネイティブスピーカーどころか覚え始めて半年ほどのオレにとってはそれはとても難しくて、それでも彼のキラキラした才能は嫌というほど感じさせられていた。
そのScott Weilandが死んだ。
もう、一週間も前のことらしい。
正式な発表はないが、多種多様なドラッグがツアーバスやバンドメンバーから見つかっているみたいなので、まず間違いなくドラッグのODで死んだんだろう。
彼を知る人なら、こういう死に方をするのは予想通りに違いない。
オレも、彼の訃報に接して、真っ先に思ったことが、「ついにやったか」だった。
彼は90年以降のロックスターの中では、一番ドラッグとの関係が深い人間の一人だったと思う。
ドラッグの良し悪しはここでは問題にするつもりはない。
ただ、あまりにもロックスターらしいその生き方(恐らくとても苦しい)を見ていて、彼が描く世界は、その生き方なしには生まれないのだろう、と諦めるように感じていた。
ここ数年、Stone Temple Pilotsのことを思うことは大分減っていたが、今、Scott Weilandが死んだ、と聞いて、今さらながらポッカリと心に穴が開いたような気持ちになっている。
これはただただ勝手なオレの心的現実の話になるが、彼の狂気に満ちた神秘的な世界観は、少なからずオレの今の仕事(を選択したことか)に影響を与えているし、それはふと、仕事について頭を働かせているタイミングでBestAlbumのジャケットに描かれた、一面の向日葵の映像が頭に浮かぶたびに実感している。
それは、すぅっと現実から距離を取り、思考から離れたところで、ある種根源的なイメージの世界に誘われる体験だ。
そしてそれは、オレが仕事を続けていくうえで大きな支えとなっているのである。
Scott Weilandの死に触れて、心の内に浮かび上がったものを、ここまでつらつらと書き連ねてみた。
やはり、文字にするとどうも感じているものとのズレが生まれる。
もう一度、あの向日葵のジャケットを眺めながら、Glideを聴き、彼の世界に心を遊ばせることで、私の中のScottと会話することが、彼を追悼するベストな方法のような気がする。
なので、文字を書くのはここまで。
Scott Weilandの名前と彼の才能は、オレが死ぬまで忘れることはないだろう。